記念日(言葉の海)

maacha1

 

積もりたる心の憂い途切れなく

   雨音と共によみがえり来る。

 

 

1991年9月10日午前5時30分ころ

ドスンと言う音で目覚めた。

三か月前に腹部をŁ字型に切った手術痕が痛いから

低気圧が近づいているんだなあ・・・。と思いながら・・

 

こんな書き出しで夫の闘病記を書いたことがあった。

50歳で倒れた夫。

右半身の機能を失い言葉を失い28年経った、

記念日なんて言いたくないけれどやはり・記念日なのかな?

あの日から私たちの戦いが始まったんだ。

失った言葉は目の前に海のように広がっていた。

いや、今も広がっているなあ。

ふたりで言葉探しに言葉の海へ漕ぎ出したけれど少しだけ

失った言葉の欠片を掬うことができたみたい・・そんな気もする。

 

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倒れた頃。カレンダーを見つめながら

言葉が出なくとも「いつ治る」?と訊いてきた。

だから「五年かなあ」しばらくするとまた訊く。

私は「五年かなあ」と応える。背中を向けて涙流したあの日々。

そのうち夫は「治る?」とは訊かなくなった。

28年と言う月日は何だったんだろう。闘いの日々それだけだ。

息子が8月に50歳になった。

『あぁこんな若く倒れたんだ」と改めて感じた。

息子たちも何かを感じたみたいだ。

私が年を重ね両親の亡くなった年になってきた今

両親の「想い」が分かるよう息子たちも何かを感じたはず。

今は

静かに絵を描きながら。囲碁の本を見ながら日々を過ごしている夫。

穏やかな心が憎らしいくらいに笑顔がいい。

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色々なことに心を砕きながら過ごす私と大違い

でもねそれでいいんだよ、

病気も難事もすべて私が引き受けるそれでいい。

言葉を失った夫が大病になったらそれこそ大変だ。

後、何年ここに居るのか指折り数えるようになったけれど

「お父ちゃん100まで生きよう」と言ってるんです(#^.^#)