25時

昨日でも明日でもないこの時間

覚えのある森閑とした闇が織りてきた。

思考をコントロールできなくて私の心は

今、25時に居る厭世的なこの時間は妙に居心地がいい。

こんな詩を書いことがあった。

すこしずれた感覚を持つ友がよく使っていた25時という語句。。

ずれた感覚。厭世的な自虐的な心を持っていた友。

話していると

哀しみの何もかもが。苦しみの何もかもが。辛い心の何もかもが

どうでもよくなって行ったから不思議だった。

私も若かった、生きることさえどうでもいいや・・・なん思っていたこともあった、

今の私は、命を大事にし、命を愛おしく思う心になっている。

心を病んでいた友は今どうしているだろう

「もしも。私が死ぬときは、心を送るからね

そして三途の川のほとりで待っている」・・・そんな言葉遺して

私の前から消えていつた、

今になって、なんでまたあの友を思い出したのだろう

なんの脈絡もなく、ふと心に戻ってきた友。

三途の川のほとりに居るんじゃないだろうな

きっと孫に囲まれて素敵な婆になっているだろうな。

KONICA MINOLTA DIGITAL CAMERA

私も今の難関をきっと突破して笑い声の満ちた生活が

待っていると信じている・・・・。

明日は一か月ぶりに息子に逢える・・・(#^.^#)