烏賊とカレー

 

コンニャクと一緒に、烏賊を煮ようと思ったのに、

スーパーの袋の中には、コンニャクがなかったのね。

「あーーあ、また、買い忘れちっゃたア、

まったく、ドジだなあ」・・・。

仕方ないので、烏賊だけを煮ようと、まな板に載せ、

包丁を入れた瞬間・・・。

もう、何十年も前の光景、そして会話が、

ふっと目の前にうかんできたのです。

 

まあちゃは、子供の頃、カレーが苦手で、

あまり、好きではなかったのね。

今は、大好きだけれど・・・・・。

 

ある夏の夕方、母がカレーを煮込んでいて・・

「チョットかき回していてね」と言ったのです。

カレーの「匂い」でなくて・・「臭い」・・・が

まあちゃにとっては、とても嫌だったの。

カレーなんかイャだなあと、ふくれっ面をしていたら、

母が「まあちゃには、烏賊が、

買ってあるからね」と言ったの。

「そのかわり、カレーかき回すんだよ。

煮込んだほうが美味しいから」

と母に言われて・・

臭いを我慢して、カレーを、

ゆっくりかき回していた時に・・・・・。

兄ちゃんが。そっと、忍び足で傍へ来て、

小さな声で、

「まあちゃ、一口、一口でいいから、カレーくれよ」

「兄ちゃんはカレー食べちゃいけないんだろう」

「かあちゃんが、今、居ないから、ひとくち、くれよ」

「じゃ、ひとくちだけだよ」

そう言って、まあちゃは大きなスプーンにカレーを掬って、

兄ちゃんの口へ入れようとした瞬間・・・。

母が太った体をユサユサ揺らしながら、

あわてて飛んできた。

「あっダメダメ、兄ちゃんは、

それ食べちゃダメダよう、味を薄くして

あげるから、待ってな」

口をあんぐり開けた兄ちゃんと、

スプーンを持ったまあちゃの手は、

そのまま止まってしまったのです。

兄ちゃんは、残念そうに、口をへの字に閉じ、

まあちゃは、スプーンのカレーを、

ポトポトと、お鍋に戻したの。

兄ちゃんは、

恨めしそうに、食べたそうに、心底残念そうに、

フツフツ煮込まれている黄土色のカレーを

横目で見ていたのです。

そして、母は、色だけカレーで、

ほとんど味気のしないカレーを

兄ちゃんのために別鍋で作り、

まあちゃの烏賊も煮てくれた。

 

兄ちゃんは、重い腎臓病だったために、

塩分・水分全て制限されていたのです。

あの時・・兄ちゃんが、ポツリ言ったのね・・・・。

まあちゃは、食えるのに、食わないで烏賊を食う。

俺は、カレーが食いたいのに食えない・・・そう言った。

兄ちゃんは、確りした味の、こってりした味のカレーを

どんなに食べたかったろうな・・・。

烏賊を切りながら、遥か遥か昔の一こまに、

しばし、浸ってしまいました。

 

兄ちゃんは、今頃、天国で、

大好きなカレーいっぱい食べているだろうな。

 

今、烏賊を煮るいい「匂い」が、台所から漂ってきているわ。

明日の夜は、カレーにしようかなあ。

 

2002.08.23